酒、女、ロック

alljapan012004-04-07

な毎日でした。
大学に入ってからの二年間を振り返ってみると。

その中でも、酒を飲んでの失敗談が圧倒的に多い。
「あぁ、大学生だったらそれくらいキホンでしょ、キホン」
なんて思った方々、ちょ〜っと待った!
見くびらないでください!(謎)
皆さんが思っている以上の失敗をしてるんです。

俺という人間の行動を予測するに上では、必ず最悪の事態を
想定してください。
しかし実はそれでも、甘い。
俺の失敗談は、必ずその斜め上を行きます。

「作者の人生の元手がかかっている」
芥川賞の選考委員の一人が、金原ひとみさんの「蛇にピアス」を
評して言った台詞です。
俺の失敗談にもまさに、「人生の元手」がかかっています。
しかも、より悪いことに俺の場合は全編ノンフィクションなのです…
あの、今回の話を読んで「作ってるやろ」とお感じになる方も
いらっしゃるかもしれません。
この場ではっきり言います。
全て、全てが、事実です。ノンフィクションです。
泣きたくなることに。

別に意識してやってないんだけど、
自分を犠牲にして笑いを取りにかかる傾向が俺にはあります。

最近、切に思う。
「面白くなくて良い。ただ、大人しく生きたい」


さて、前置きが長くなりましたが、
最大の失敗談と言えば、
思い起こせば去年の8月8日のこと。
ええ、日付もしっかり覚えています。

ゼミ合宿で箱根へ、サークルで千葉の白子へと旅行し、
海も山も遊びつくした感のあった夏休みも中盤に差し掛かった頃、大学生らしくバイトに精を出していた(※)
俺は5日連続でシフトに入るという自分の体力を無視した
暴挙に出た。
お金、欲しかったしね。

※ちなみに、そのバイトというのは六本木のBARでの
バーテン見習い。

ところが、それが祟って日を追うに連れてだんだん
バイト中に意識が朦朧とする機会が多くなっていくわけです。
まぁ、四日目くらいにやばいなぁ、っていう兆候は
あったのですが、そこは若さで乗り切れるっしょ♪
みたいな軽いノリで翌日も元気良く六本木へ出勤。
それが、8月8日の夜のこと。
腰に、頭に、足にと疲れが重しのようにのしかかってきたが、

何とか後一時間で帰れる、ってとこまで気張った。
ところが、その日に限ってマスターがベロ酔い…
「マスター、酔っ払ってるでしょう。しっかりしてくださいよ」
なんて冗談交じりに注意したのが運の尽き。
「なんだとぉ、哲也。お前も飲め」

やばい…目が据わってる…
断るわけにもいかないので、マスターと飲み比べを開始。
まずは既に随分な酒量に達しているマスターと
条件を同じにするために、ジンをストレートで3杯イッキ。
しかもダブルのグラスで。

正直、お酒をなめてました。
酔っ払うとホントに周りの光景がまわって見えるんですねー、
そんな呑気なことを考えていられたのも束の間。
がーんと、鈍器で殴られたような衝撃が頭を襲う。
「まずい」と思ったが、時すでに遅し。

その後も悪酔いしたマスターは
俺のグラスに新しく酒を注ぎ続ける…

一人でジンのボトルを半分以上空けた時点だろうか。
その時点で俺の記憶は途切れている。

翌朝、目を覚ますとそこは病院のベッドの上。
しかも、ウトウトしながらも周囲を見回してみると、
親、兄弟、親戚が俺の横たわるベッドを中心にして
一同に会しているわけです。

二日酔いの頭でも自分が急性アル中で倒れたことくらいは
十分理解できた。
はずだった。

しかし!ジンのボトル半分と言えば、ビールの大瓶7本を
一人で飲み干すのと同等のアルコールを摂取したことになる。
その酒量を侮ってはいけない!

べろんべろんに酔っ払っている状態のため、
親族が全員集合状態なのを見ても、何ら事態の深刻さには
思い当たらない。
むしろ、「たくさん人が集まって楽しいなぁ」くらい。
つまりは、半ば正月気分なわけ。

ふと、自分の下半身を見ると、なんとオムツを履かされている
ではないか。
よし、なんだかよく分からないけど、
ここはオムツをネタに笑いでも取らないと!
と謎の焦りを覚え、先生に向かって言い放った。

「せんせ〜!俺、死ぬんですかぁ?あの、死ぬとしても〜
オムツだけは外してくださいね。これはホント、尊厳死
問題ですよ。お願いします!」

…有り得ない。
有り得ない!
もちろん、看護婦と医者は失笑。
家族はもう、呆れかえるばかり。

後で聞かされたのだが、当初は生命すら危ぶまれる深刻な状態で
あったらしく、両親は東京へと向かう新幹線の中で、
遺影にどの写真を使うかを真剣に考えていたらしい。
そら、笑えませんわな。ごめんなさい!

そうそう、病状(?)はよほど深刻だったらしく、
一度意識を取り戻してまったく笑えない冗談を言い放った後、
再び眠りにつこうとした俺の耳に医者の不吉な一言が
飛び込んできた。
「このまま二度と目覚めないことも有り得ます。
覚悟だけはしておいてください」
え〜!えぇ〜〜!
やばい!起きなきゃ!と思って必死にまぶたを開けようと
するのだが、もはや身体の自由が利く状態ではない。

血中酸素濃度ってやつが90を切るとベッド脇にある警報
が作動するのだが、俺がウトウトと眠りにつこうとするたびに
その警報機が鳴るわけです。
それに引き続いて看護婦がベッド脇に走ってきて一言。

「寝たらダメ!寝たら死んじゃうから!」

『オマエ、ここは雪山か』
などと妙に冷静な突っ込みを心の中で入れつつも、
やっぱり間断なく襲ってくる睡魔には抗しきれない。
10分後にはまた警報がなる。看護婦走ってくる。
「寝たら〜」『〜雪山か』の繰り返し。

家族は気が気でなかったに違いない。

余談だが、妙に結束力の固い一族の下に生を受けたため、
俺が病院に担ぎ込まれた際も両親、兄弟を始めとして、
叔母が3人、祖父母、さらには祖母の妹までもが
病室に集っていた。

集まった面々は最初は心配そうに俺の姿を覗き見るだけだったが、
容態が安定してくると態度は一変。
非難の声の集中砲火を浴びた。
あぁ、あぁ、この年で「てっちゃん」は勘弁してくれ。
他の患者もいるんだからさぁ。
ほら、看護婦も笑ってんじゃん。
などと、この期に及んでも素直じゃない俺。
最悪だったなぁ。

特に姉貴に至っては、急性アルコール中毒に関するレポート
三枚を強要。はい、書きましたよ…
かかなかったら縁切るとか言われたらさすがに、ねぇ?

お酒は、怖い。
ホントにそう思い知らされた出来事でした。
まさに「体感」しましたよ。
疲れてるときに酒飲むのは辞めました。
酒の飲み方もストレートは一切飲まない。
ロックもなるべくなら避けるように。

俺が飲んだジンのタンカレーという銘柄のボトルの色が、
緑だったんですが、退院直後から一週間くらいは
「緑色」のものを見るたびに吐き気をもよおしていました。
全然目にやさしくね〜!
これって今話題のPTSDだったのかなぁ笑


ところで、事件以来、家族に冷遇されている気がします。
久々に実家に帰っても、俺だけおかずが一個少なかったり
します。
そのくらいの罰なら甘んじて受けますが、
「今後のために」と、遺影用の写真を病室で撮影したのは
ど〜かと思います。
いい加減許してください。
何度も謝ったじゃん。
ま、日記に書いてみて思った。
俺、言うほど反省してないかも。
ってうそうそ、万一家族がHPを見た場合に
備えて否定しておくけれど。

あぁ、思い出すだけでも恥ずかしい。
なら日記に書くなって話だけど、
二度と同じ失敗を繰り返さないため、常に自身に内省を
促すリマインダーとして利用しようかなと。

お酒とのうまい付き合い方を解説したサイト。
身に覚えがある方はご覧になってはいかがでしょうか。
http://www.suntory.co.jp/arp/

ちなみに、この話を人にすると、友人の反応は完璧に二分されます。
笑って済ませてくれる人と、
ガン引きする人。

さて、あなたなら、DOTCH!?