始まりの終わり、終わりの始まり。

大学の入学式。
学科のガイダンスを終えて廊下に出たところで、
窓際に佇む男を見つけた。
ガラス越しに見える中庭で、華やかに催されている新歓行事を
どこか醒めた目線で見ていた様子に興味を惹かれて話しかけた
のを覚えている。

それが大学に入って初めて出来た友人だった。

彼は名古屋出身で、昼飯代を浮かすために自分で作った
弁当を持参するという苦学生だった。
学科が同じだった以外には、生活感や趣味から、
人生観に至るまで、ほとんど共通項がなかった。

しかし、進学時の地元志向が非常に強い関西出身
だったことに加えて、大学進学率10%代を堅持する底辺校
出身だった僕には、大学入学時点での友人はゼロだった。
人脈作りに心を割かなければいけない理由は揃っていた。

懸命にコミュニケーションを試みたが、
結局、彼とは、その後二,三度、昼飯を一緒に食べたくらいで、
夏までには大学ですれ違ってもお互い会釈を交わす程度の
間柄になった。

彼との関係が希薄になっていく中でも、とにかく僕は人脈作りに
必死だった。とにかく様々なタイプの人間と接し、時には
気に食わない連中とも行動を共にした。

そうやって、新しい人間関係を模索していく中で、やがて
今に至るまで結束を守る貴重な友人たちを得ることができた。
彼等は、それぞれが強烈な個性を、身体から湯気のようにして
発散させていた。大学という枠に収まりきらない行動力を
持っていた。

「起業したい」「役者になりたい」「とにかくでかいことがやりたい」
「肉食いてぇ(謎)」

ある一人の興味関心に沿った提案に、皆が賛同して、次々と
それが企画となって実現していった。

「首都圏の大学生向けのフリーペーパーを五万部規模で発刊する」
誰かの一言をきっかけとして、3ヵ月後には
それが実現した。
「イベントがやりたい。それも、どうせやるなら一番大きな舞台で」
誰かがノリで言い放った。
2ヵ月後には、ベルファーレが1400人で埋まった。

靖国神社公式参拝とか面白くね?」
「海の家貸しきって夏過ごそうぜ」
「ミスコンやろ♪」
「あ〜!フランス語落とした!上海行って気分転換しよう!」

ここには書ききれないくらいの出来事があったし、
中には書き表すことのできないきわどい内容を含んだ
出来事もあった。
●ーフリと混同されたとか。笑
ある企業に雑誌乗っ取られたとか。笑

こうした企画を共に実現していく中で、大学生活の
ほとんどの時間を彼等と一緒に過ごしたと言っても
決して過言ではない。

皆が日吉近辺に住んでいたこともあって、誰かの気まぐれで
深夜に誰かの部屋に集められて、朝まで飲み明かすことも
たびたびだった。

時間と空間を共有しさえすれば、
自然発生的にそこに濃密な人間関係が生じる

僕らにとっての共通体験が積み重なるに連れて、
他人には理解し得ない「内輪のノリ」が培われる。
笑いというのは、それがコアなものであればあるだけ、面白い。

仲間うちでのバカ話に興じている日常が一番楽しかったし
、それは無限ループのようにして、ずっと続いていくのだと
思っていた。それはある種の信仰だったのかもしれない。

だが、時の流れは容赦なく押し寄せる。
三年になると周囲の環境は一変した。
端的な事実として、キャンパスが移った。
それにしたがって、それぞれが別々の場所に住むようになり、
同時に別々の目標に向かって歩みだした。

公認会計士を目指して日夜勉強する友人。
ゼミの勉強に打ち込む友人。
就活を見据えてインターンに参加する友人。

もう、その場のノリでオールできない。
明日には、それぞれが自らの目標に沿った「予定」を
抱えているから。
もう、キャンパス内で溜まることはできない。
ゼミで時間を拘束されるし、資格試験を目指す友人は
そもそも学校に来ていない。

非常に漠とした予感ではあるけれど、
楽しいだけで日々をやり過ごせる日々が遂に
「終わりつつある」

大学で出くわしたときの何気ない会話。
一緒に飯を食っているときの仕草。
店での酒の飲み方。

日常の端々に、友人たちとの齟齬を感じることが多くなった。

たしかに、思い出話に興じることによって
過去の楽しかった出来事を追体験することはできるけれど、
麻薬の中毒症状と同じで、以前と同じレベルの刺激では
満足できない。

大学1、2年の頃のようなムーブメントが訪れることは
もうないだろう。あれだけ刺激的な出来事が洪水のように
押し寄せてくることは、もうないだろう。

「もっと楽しいことを!もっと刺激的なことを!」
これこそが、大学生活を貫いていた行動原理だった。
今じゃもう、その原理を訴える声が胸の中で虚ろに響くだけ。

ふと、冒頭で触れた、大学での初めての友人のことを思い出す。
これだけ濃密な時間を共有した連中とも、
いつかどこかですれ違っても、挨拶を交わす程度の関係に
なってしまうのだろうか。
人間関係は、それほどに劣化しやすいものなんだろうか。
中学、高校時代を思い返す。答えは…イエスだ。


過去二年間でじっくり醸成してきた関係の「終わりの始まり」。
僕は敏感にそれを察知してしまったように思う。


そして、それこそが、この数ヶ月間、
僕の頭の中で靄がかったようにして晴れない
鬱々とした気分の正体なのだと気付いた。


一月振りに書いた日記が、随分長くなりました。
日記って、自分の幼さが滲み出てしまいますね。
高校の卒業を控えた時期の心境からまるで変化がない苦笑
だからこそ、記す意義があるのかもしれないけど。
人間関係に拘泥するのは悪い癖だなぁ。。。