我が名は…

ある一時期から、あだ名らしいあだ名があった覚えがない。
これは、幼い頃の僕の一人称が「てっちゃん」であったこと
に由来しているだろう。

仕事に忙殺される父と、主婦業に専念する母、そして姉と妹。
こんな家族構成では、必然的に女優位の言語体系が生まれるわけです。
小学校高学年までは、自分の用いる一人称が「てっちゃん」であることに
何の疑問も抱かなかった。
まるで、どっかのイタイ女の子(仮にその名をアヤコとする)が
自分のことを、「あーちゃん」と呼ぶのと同じように。

さてさて、小学校も高学年になって二次性徴期を迎えると
そうはいかない。男女の区分を過剰に意識するようになった
早熟な一部の男子は、ホモ=ソサエティーを構成するようになる。
あ、ここで言うホモはヘンな意味じゃなくてね。
その社会の中では、非常に「男っぽい」コトバ遣いをすることが
強要されるわけです。

当時の僕にとって、それはカルチャーショック以外のなにものでもなかった。
今まで、同じ言葉で、同じ態度で接してきた男子と女子を
意識の上ではっきりと峻別して過ごす生活が突如として
始まったんだから。

そうしなかったら「オカマ」なんて呼ばれて苛められますからね。
自己防衛本能を働かせた僕は、必死にコトバ遣いを矯正しようと
努めた。
しかし、今まで馴染んだ言語体系を転換するのは思ってた以上に難しい。
「ハラ」とか「ケツ」といった下品な表現は、それまで
培った自分の言葉の美意識と決定的に相容れないものだった。

一人称にしても、そう。
最初は「俺」という一人称が、ひどく野卑なものに感じられて
仕方がなかった。
「自分で、自分のことをどう呼ぶか」
このことは、幼い頃の自分にとってひどく重要な命題だった気がする。
「てっちゃん」と称していたのを「オレ」と改めるだけのこと。
たった、それだけのこと。

しかし、である。
「オレ」。たった一言そう発するだけで、周りの世界の全てが
変わってしまいそうな気がしていた。

そういう事情があって、さすがに「てっちゃん」という
一人称は改めたが、中学校も二年生になるまでは
僕の一人称は「僕」であった。

今となっては、何でそんなことで思い悩んでいたのだろう
と感じるが、当時の僕にとっては自分自身のあり方を再指定する
ような、重要な意味合いが、きっと自分の一人称にあったのだと思う。

現在、僕の日常会話における一人称は「俺」である。
しかし、実家に帰るとなぜか今でも「俺」とは言えない。
なるべくなら、外で覚えてきた「野卑な言葉」は使うまい、
と思い、一人称を使うのを避ける。
要するに、主語を省くわけだ。
「あぁ、(俺が)やっとく」
「もう食ってきたから(俺は)夕飯要らんわ」
などという風に。

さすがに、今では自分のことを「てっちゃん」なんて言わないけれど、
もしもあのまま、一人称を変えずに自分の言語体系を守り通していたら、
と想像してみる。

全然違う自分になってたんだろう。
もしかしたら、もっと誠実で、もっと素直で、もっと快活な
自分がいたかもしれない。

一人称の自己規定効果とは、実に恐ろしき。

さて、冒頭の話に戻ります。
先述したとおり、「てっちゃん」という一人称は、小学校高学年の
ある時期を境にして、僕にとって恥ずべき、隠すべき表現と
なってしまった。
そのために、以降親しい友人にあだ名を提案された際に
まっさきに「てっちゃん」という選択肢を排除するようになった。
だって、「てっちゃん、てっちゃん」なんて話しかけられたら、
思わず「てっちゃん、これから授業やねん」などと、それに応じて
口走ってしまいそうなんですもん笑

そうやって、「てっちゃん」の呼称を拒否してきた結果、
主な呼称は「谷ちゃん(語尾上げ)」「谷ちゃん(語尾下げ)」、
あるいは、ストレートに「谷(クン)」となった。

いい加減、昔の記憶から解き放たれたいものです。
しかし、このトラウマを脱したと言い切れるのは
実家で母親に向かって堂々と「俺」と言えたときでしょう。
なんだか、よく分からないけど、そんな気がします。

まだ、言語体系の転換期なのかもしれない。
完全に、今の「野卑な言葉」に馴染んだとき、
「てっちゃん」と呼ばれても動悸を感じなくなるのだろうな。

さて、ゼミの本を読まねば。