何かを決めることが多い。
勿論、無数にある選択肢を絞り込む作業は厭わない。
但し、いくつかに絞り込まれた選択肢のうちの一つを
選び取ることを強要されたとき、僕は思考停止状態に陥る。

いわば、くじのような感覚だろう。
人生で最も重要だったろう場面においてすら、
僕はその意味を深く考えずに、「何となく」一つの
選択肢を引き抜いている。

高校選び。
大学選び。
学部選び。
サークル選び。
友達選び。
研究所選び
ゼミ選び。
夏の過ごし方選び。

「底辺校か、進学校か」
「早稲田か、慶應か」
「法学部か、経済学部か」
「サッカーか、テニスか」
「遊ぶか、学ぶか」
「法律か、メディアか」
インターンか、旅行か」

ここまでは、絞る。(絞り方がおかしいって指摘はナシね笑)

でも最終的には「何となく」の決断が積み重なって、
今に至る。近頃、その危うさを強く感じるようになった。
先ほど、「積み重なって」と述べたが、実のところ
それらの決断は決して上に積み重なってきたと
呼べる性質を持つものではないと思う。単に
並列状態にあるだけで、相互の繋がりは自分という
基盤をおいて、他にはないようだ。

「何となく」決めたことであるために、それに対して
責任を負うという意識が、あまりに希薄だ。
そしてたいていの場合、「何となく」の決断は、過っている。
そんな時、過った選択をしたからには、それによって
生じた結果に対処する義務が当然に発生する。はずだ。

「何となく」スパイラルに呑みこまれてしまった僕は、
その義務を果たすことなく、その時々に偶然提示された
新しい選択肢を、また「何となく」選び取っていく。

この連鎖は、何も生み出さない。蓄積された経験の上に
選択肢があるわけではないからだ。選択肢は、常に逃げ道と
して存在してきた。

なんて、つらつら書いてきたけれども、過去の決断同士の
関係性を僕自身が見出せていないだけかもしれない。
まずは、自分史的なものをまとめてみたら、今の自分の
立ち位置も見えてくるのかな、と思ったので、9月は主に
過去を記してみる。多分、このスペースには掲載できない
でしょうが。

そうやってみても、どうしても繋がりが見出せなかったこと
に関しては、「どうして?」と聞かれたとき、勇気をもって
はっきりと「何となく!」と応えられるようにしよう。

「何となく」って響きの何が嫌いかって、語尾下がり調だね。
ほんと、ナンも考えてね〜んだな、こいつってのが
語調に表れちゃうトコ!気をつけよう。

「何となく↓」と「何となく!」の違い。
自分の選んだ道の正しさを確認したときが
境目になるのかもしれない。
爽やかに「何となく!」って言えるようにしよう。
勿論、しっかりした理由がありゃ一番なんだろうけど、
人間、それほど論理的に生きてない。