アルエ

今更だけど、BUMP OF CHICKENにハマった。

驚くほど歌詞の覚えられない僕は、普段は専ら
洋楽を聴いているわけだが、ネット上のBUMPオタクに
激・推奨されて、何気なしにアルエを聴いてみた。

アルエ

白いブラウス似合う女の子 なぜいつも哀しそうなの?
窓ぎわに置いたコスモスも きれいな顔うなだれてる
青いスカート似合う女の子 自分の場所を知らないの
窓ぎわに置いたコスモスも 花びらの色を知らないの

いつか君はブランコにゆられて いたいけな目を少しふせて
哀しい顔でうつむいた 「アタシハヒトリデヘイキナノ」

ハートに巻いた包帯を 僕がゆっくりほどくから
日なたに続くブリッジを探しておいで 哀しいときは目の前で
大声出して泣いてよ そんな寒いトコ今すぐ出ておいで
アルエ・・・

僕の大切なアルエ 一人で見ていた夕焼け
僕もいっしょに見ていいかい? 僕もいっしょに居ていいかい?
ボクノタイセツナアルエ 本当はとてもさみしいんだろう?
僕はいつでもそばにいる 僕がこれからそばにいる

君は人より少しだけ 無器用なだけの女の子
「ウレシイトキドンナフウニワラエバイカワカンナイ…」

ハートに巻いた包帯を 僕がゆっくりほどくから
笑顔を写すスライドを準備しといて!!
うれしい時は目の前で 両手たたいて笑ってよ!!
そんな寒いトコ今すぐでておいで

She can get all
She can love all

ハートに巻いた包帯も もうすぐ全部ほどけるよ
怖がらないで素顔を見せてごらんよ
「ウレシイトキニワラエタラ」 「カナシイトキニナケタラ」
そんな寒いトコ今スグ出てこっちにおいで

ハートに咲いたコスモスが 枯れないように水をやろう
青空の下でゆれていてスゴクきれいさ
ブリッジでとったスライドは 君が生きてるって証拠さ
あたたかい日だまりの中で一緒に手をたたこう


うん。つぼにはまった。
ハートに巻いた包帯を〜って下りが好き。
なぜか、「アルエ」に感情移入(笑)

あまり関係ないけれども、今日は用事があって夕方に日吉を訪ねた。
キャンパスに寄る予定はなかったんだけど、
一緒にいた友人と日吉時代の追憶モードに入ってしまい、
懐かしさにかまけて気がつけば駅を素通りして
夕焼けに染まる並木道を歩いてた。

黄昏どきの日吉キャンパスの光景が好きだった。
ベンチに座って語り合う二つの人影とか、
塾生会館から漏れ聞こえる吹奏楽部の演奏とか、
なぜか必死にのこぎりで木材をぶったぎってるKESSとかね笑

なかでも一番好きだったのが、語学棟の屋上スペース。
窮屈な大学生活で、唯一開放感をもたらしてくれる空間がそこだった。
日吉に住んでいるのにもかかわらず、登校する時間は昼ごろ。
軽い自己嫌悪に苛まれつつ、一人屋上でほおばるマックの
ハンバーガーの味が思い出されて、口の中にじっとり唾が溜まった。
日当たりがいいもんだから、マックのパンが日焼けするんだわ。

いやはや、場所ってのは記憶を喚起する。

それだけじゃない。

そこで、友達と映画を撮ってたこと。

そこにたまたま通りすがったスペイン人っぽい留学生の
お尻がこの世のものとは思えないほどにセクシーで、

「エロスという観念が歩いている!!!!」
なんて友達と大騒ぎしたこと。

そのコに微笑まれて思わず、
中三くらいの心情にダッシュで駆け戻ってしまったこと。

結局、誰も声をかけられなかったこと。

別にナンパとか、そういう意図があったわけじゃなくて、
補足説明しておくと、その留学生は、友達がいないらしく、
昼休みに必ず一人で植え込みの影に隠れて食事しに来るんだよね。
話しかけるものを拒むようなその後ろ姿が生来のスタイルの良さと
相まって、絶妙に艶っぽかった。外国人に艶っぽいってヘンか?

ともかく、「ワタシハヒトリデヘイキナノ」って感じを醸し出してたわけ。
願わくば、あのエロス神と再会して笑顔をみてみたいなぁ。
はい、ここでようやくアルエとつながった。よかった。


なんも考えてない刹那的な生活だったけど、
思い返せば、その頃はそれでよかった。

また懐古主義に陥ってしまいそうだから、
敢えて記しておくと、その頃に戻りたいなんて思っちゃいない。

ただ、当時のことを思い出して自分のゼロ地点が見えた気がした。
この時期、みんな妙に気を張ってる。
自分じゃない何かになろうとしてる。
それが何だかわからんけど、今までの生活の延長線上にしか
将来の仕事ってないだろ。

語学館の屋上で過ごした時間は、向上心とは違う何かに
突き動かされている気がしてた最近の僕には、とても大切だった気がする。

ゆっくりと時間が流れてたせいか、
友人とあれやこれや話しているうちに、ふと肌寒さを感じて
時計を見てみると、すでに7時半。
屋上に着いて2時間が経過してた。

秋だ。半袖でいつまで頑張れるだろう。

ver.2

忘れもしない。

一昨年の12月4日深夜。

日吉で友人と飲んでいた僕に、先輩から電話がかかってきた。
どういう用件だろうと思いつつ、訝しげに応答したのだが、
先輩の第一声は次のようなものだった。

「今から〜、お台場で、ドロケイやるから来いよ」

ん?一瞬聞き取れない。
お台場?ドロケイ?今から?
単語は聞き取れるのだが、それが連なってどういう意味を
持つのか全く理解できない。センテンスとして捉えられない。

「えっ、なんていいました?どういうことですか?」
素直に聞き返した僕に対して、先輩は物分りの悪いヤツだな
というふうに少し苛立ちながら、とにかくお台場に来いと言う。

時間は、既に深夜0時を回ろうとしている。
しかし、そこは暇な大学生。楽しさ原理主義者の僕らは
一路、お台場海浜公園を目指した。

ところが、新橋まで着いてみて気付いた。
ゆりかもめ、終わってんじゃん…。
仕方がないので、タクシーで相乗りしてフジテレビ前へ。
一人頭、800円ほどの出費。イタイ…。
なんでこんな時間にお台場に来ちゃったんだろう、と多少の
後悔を抱きつつ、集合場所として指定された自由の女神像前へと歩く。俺らバカじゃね?なんて話しながら。

テンションうなぎ下がり状態のまま、女神像前に到着。


すると、そこには100人を超えるバカが集っていた。


ドロケイのルールを一通り説明してもらった後、50:50に
分かれてゲーム開始。泥棒はルミカと呼ばれる発光するリングを
腕に巻きつけて、それと分かるように工夫してあった。警察は
そのルミカを付けているかどうかで、一般の人と泥棒を区別する。


場所は、バリバリのデートスポットである
お台場海浜公園。仲睦まじく腕を組んで歩くカップルたちが行きすがる中で、ドロケイは決行された。
しかも、この年(当時20)で全力疾走する機会って
なかなかない。だから、久々に走ったらめっちゃ楽しいわけ。
自然と笑顔になっちゃう。

抱き合うカップルの背後を、全力で駆け抜けるバカたち(しかもなぜか笑顔)傍から見たらマジこえー笑
限りなくシュールな光景だったが、幸いなことに警察に
通報されて捕まえられるという、「リアルどろけい」には
ならずに済んだ。

結局、始発の出る朝5時まで、オールでドロケイ。
日が昇ったときの、気だるさ、心地よい疲労、そして何故だか
参加者同士の間に生まれた連帯感。
あんな素敵な朝をお台場で迎えることは、もうないと思う。

ちなみに、この日は某マスコミ系の研究所の入所試験科目である、
作文の提出日だった。えぇ、すっかり忘れてたんですよ。あっはっは。
帰宅後、あまりに時間がなくて、半泣き状態で書き上げることに
なりました。

ダメ人間だもの笑

何かを決めることが多い。
勿論、無数にある選択肢を絞り込む作業は厭わない。
但し、いくつかに絞り込まれた選択肢のうちの一つを
選び取ることを強要されたとき、僕は思考停止状態に陥る。

いわば、くじのような感覚だろう。
人生で最も重要だったろう場面においてすら、
僕はその意味を深く考えずに、「何となく」一つの
選択肢を引き抜いている。

高校選び。
大学選び。
学部選び。
サークル選び。
友達選び。
研究所選び
ゼミ選び。
夏の過ごし方選び。

「底辺校か、進学校か」
「早稲田か、慶應か」
「法学部か、経済学部か」
「サッカーか、テニスか」
「遊ぶか、学ぶか」
「法律か、メディアか」
インターンか、旅行か」

ここまでは、絞る。(絞り方がおかしいって指摘はナシね笑)

でも最終的には「何となく」の決断が積み重なって、
今に至る。近頃、その危うさを強く感じるようになった。
先ほど、「積み重なって」と述べたが、実のところ
それらの決断は決して上に積み重なってきたと
呼べる性質を持つものではないと思う。単に
並列状態にあるだけで、相互の繋がりは自分という
基盤をおいて、他にはないようだ。

「何となく」決めたことであるために、それに対して
責任を負うという意識が、あまりに希薄だ。
そしてたいていの場合、「何となく」の決断は、過っている。
そんな時、過った選択をしたからには、それによって
生じた結果に対処する義務が当然に発生する。はずだ。

「何となく」スパイラルに呑みこまれてしまった僕は、
その義務を果たすことなく、その時々に偶然提示された
新しい選択肢を、また「何となく」選び取っていく。

この連鎖は、何も生み出さない。蓄積された経験の上に
選択肢があるわけではないからだ。選択肢は、常に逃げ道と
して存在してきた。

なんて、つらつら書いてきたけれども、過去の決断同士の
関係性を僕自身が見出せていないだけかもしれない。
まずは、自分史的なものをまとめてみたら、今の自分の
立ち位置も見えてくるのかな、と思ったので、9月は主に
過去を記してみる。多分、このスペースには掲載できない
でしょうが。

そうやってみても、どうしても繋がりが見出せなかったこと
に関しては、「どうして?」と聞かれたとき、勇気をもって
はっきりと「何となく!」と応えられるようにしよう。

「何となく」って響きの何が嫌いかって、語尾下がり調だね。
ほんと、ナンも考えてね〜んだな、こいつってのが
語調に表れちゃうトコ!気をつけよう。

「何となく↓」と「何となく!」の違い。
自分の選んだ道の正しさを確認したときが
境目になるのかもしれない。
爽やかに「何となく!」って言えるようにしよう。
勿論、しっかりした理由がありゃ一番なんだろうけど、
人間、それほど論理的に生きてない。

ver.1

忘れもしません。

大学2年の4月12日。

半年以上の時間を費やして企画してきたイベントの成功を
祝して、先輩3人、同級生1人と部屋飲みをした。

これが自分史上最悪の飲み会になるとは、そのときは
思いもしなかった。


「四季の会」という飲み会サークルの代表を務める先輩に、
効率的な酔い方というやつを伝授された。
氷結21を一杯ガツンと飲んでから、コーラやオレンジジュースで
流し込む。これが意外といける。普段は飲めない同級生もガンガン
自分のキャパをすっかり忘れてしまったみたいにして、飲みまくる。

まず、イベント当日にVJ(いわゆるビジュアルジョッキー)
をやってくれた先輩が部屋から姿を消した。

酔いを醒ましに行ったに違いないと思って、そのときは気に留めずに
飲み続けた。この時点で冷静な判断力は失われていたらしい。

どんどん、どんどん酔いが回っていく。
ほとんどジュースだけを飲んでる感覚だから、危機感はない。

異変が訪れたのは、「四季の会」代表がトイレに立った瞬間。

トイレから出て来た彼は、なぜか全裸だった。
そこで、誰も突っ込もうとはしない。
むしろ、俺以外の二人も、自ら全裸に。

部屋に残された4人のうち、3人が全裸。
一般的な感覚では、おかしいのは全裸のやつら。
ところが、密閉された6畳一間の居室では、服を着ている
俺のほうがマイノリティーなわけで。
なぜか、「なんでオマエ全裸になんないの?おかしくない?」
というノリが生まれる。うざい笑
3人がかりで脱がせにかかるバカを必死に制する。
抵抗の甲斐あって、なんとか全裸は免れたが、標的を変更した
彼らは、なぜかAV鑑賞を始めた。

ところが、酔っているから起たない。らしい。

そこで、彼らが取った行動とは。

先輩二人が、ちん●を俺の顔に近づけ、
「ダブル●フェラ」を強要しようとする。

彼等曰く、「起たねーから、舐めて起たせてみろ」


全裸の男二人に迫られる恐怖。
泥酔状態のやつって何するか分からんから、ホント怖い。
体験してみ。


僕の記憶は、その時点で途切れている。
というか、全員の記憶がこの時点で失われている。
ヘンな磁場でも発生してたのか?

ともあれ、なんとか貞操は守った、はず笑

んで、翌朝、目が覚めた瞬間、僕の目に飛び込んできたのが
先輩のケツの穴。今まで生きてきて、一番寝起きの良かった
朝でしたね。はい。

もし、俺が生まれたてのひよこだったらマジ、ケツの穴
インプリンティングですよ。ぴよぴよ

さらに、この飲み会にはオチが。

飲み会を中座して部屋の外へ出ていったVJの先輩が、
同じマンションの全く見知らぬ人の部屋で発見されたのだ。

本人曰く、元の部屋に戻ったつもりが、泥酔していたため、
勝手に赤の他人の部屋にあがりこんで、
勝手にバスルームで嘔吐したあと、
勝手に冷蔵庫内の、ありとあらゆる飲料を飲み干し、
勝手にベッドに潜り込んで熟睡していたらしい。

たまたま、その部屋の住人が不在で、なおかつ部屋の鍵を
開け放していたがために起こったミラクルだった。

しかし、部屋の住人の立場になって考えると、部屋に帰るなり、
嘔吐物まみれのバスルーム、からっぽの冷蔵庫、乱れたベッドを
目にしたら、フツーに通報するだろ笑

日吉××ハイツの205号室の▲▲さん、
その節は大変ご迷惑をおかけしました。
ごめんなさい。通報しないでくれて、ありがとう。

リアルということ

とある就活サイトの主催するセミナーに参加してきた。
って、そんな柄じゃないんだけど、「セミナー」というものが
どんなものかを実体験として知っておくために、興味本位で
会場まで足を運んだわけだ。

内容自体は、ベーシックなもの。グループディスカッションに
自己PR、就活のスケジュール学習といったところ。

GD=周りが喋らないので、とりあえず仕切る。まとまる。
  結論の独自性はなし。
自己PR=「胃下垂」をテーマに1分間自己PR。笑いは取れた。

各班で、それぞれが自己PRを終えた後、班の中でも優れた
自己PRが出来た人が、全体の前で再度自己PRするというかたち
だったのだが、なんとも…。
発表者の「本気度」「リアル」が伝わってこない。
マイクを通して延々と発せられる言葉が、上滑りし続ける。
なんでだろう?なんでだろう?

いよいよ本格的に就活を始動するにあたって、ネタ作りや
能力うんぬん以前に、「まともに話す」ことのできる人が
どれだけ少ないことか!センテンスとしてまとまっていても
感情がこもっていない。感情がみなぎった発表でも、文章
としてまとまっていない。

そのことに、はたと気付かされた。

さらにグループディスカッションでの役割、自己PRの完成度によって
5段階にランク付けされて、さらに詳細なセミナーを受けた。

習熟度別講義っていうんですか?こういうの感じ悪かったなぁ。
周り見渡せば、自分がドコにランク付けされたか分かっちゃうわけよ。

自分自身を相対化して見れるという効能があんのかもしれない
けど、「ゆとり教育」真っ只中の時代に育った世代としては
ちょっとばかしshockingな光景でした笑

セミナーを終えると、発作が…
映画が観たい!最近あんまり時間取れなかったからなー。

というわけで、チネチッタまで「誰も知らない」を観に行く。

なんだか混んでるなぁ、と思ってたら、今日って映画の日
なんですね。一律1000円で観れるってんだから人が多いわけだ。
おかげで席は前列端っこに追いやられてしまった。

あー、普段から映画産業に少なからず貢献してる人間に
優待券よこせっつーの。なんて要領の悪いコみたいなことを
言いながらも、大人しく入場。当たり前か。

端っこつっても、わりかし観やすいやね。劇場の席の配置が
しっかりしてるから。安心。映画に集中。

感想は?と問われれば、「リアル」だって答える。
勿論、実話に基づいたお話だからなのだが、それより
子供たちの描写のされ方、物事の受け止め方が、圧倒的な
真実味を持って胸に迫ってきた。

いや、ネタばれはさんじゃうと
妹の遺体をトランクに詰めて羽田へと運び出すシーンがあるんだけど、
その姿が、なんかすげぇ「リアル」で泣けたんだよね。
(※この描写が、事実に基づいたものであるかどうかは知りません)

米兵の遺体が納められた棺が、星条旗で覆われてる光景は
みんな記憶にあると思う。その棺が埋葬地へと運ばれてく
様子を何故か思い出した。

でも、そんな棺よりも、トランクの方が絶対リアル。
言っちゃえば、前者は日常的に繰り返されるルーチン。
その点、後者は他に類を見ない異形の事件だった。
だからこそ身近な人間の死を悼む気持ちとか、単に
それに直面して困惑する気持ちとか、人生の理不尽さ
に対して苛立つ気持ちが、はっきりと表れているのだと思う。

うまく表現できんけど、そんな感じ。

んで、「リアル」という媒介項を用いて今日の出来事を
語るなら、就活セミナーで僕が感じた違和感とは、さながら
ルーチンのように使い古されて劣化し切った言葉で自分のこと
を語ることのうそ臭さであり、「誰も知らない」を観て感じた
真実味とは、事実は小説よりも奇なり、じゃないけど、
異形のモノの中にこそ人間の本質があるんじゃないかという、
直観だ。

まだ就活とやらを体験したわけじゃないから、自己PRの場に
おいて、「リアル」さが必須であるとは断言しきれない。
だけれども、通り一遍のことを話すよりは、自分以外の人間
には語りえない、「誰も知らない」リアルな自己像を語る方が
かっこいいなって、ふと思った

血の団結

ゴッドファーザー

うちの一族は結束が固い。

毎年夏には、祖父の「集合!」の一言に反応して、
一族の20名超が、箱根に一同に会する。

総勢20名超の大所帯ともなれば、部屋数もたいしたものだ。
たいてい、コテージを2軒貸し切る。
宿泊費は全て祖父持ち。
既に80歳を超えているが、身体は衰えても
その豪快な気質は全く衰えを見せない。

アメリカンドリームを夢見てカリフォルニアに渡った
曽祖父に連れられて、幼少期をアメリカで過ごした祖父。

排日移民法の制定と同時に日本に帰って来て、
すっかり英語も忘れてしまったと語るが、
50歳を超えてからヨーロッパ、アメリカ、
ブラジル、中東諸国、アフリカと世界中を旅して
回ったアクティブさの根幹は、アメリカで生活した時の
経験によって培われたものであるように思う。

昔、日本橋高島屋で働いていた頃には、
銀座を流さずには帰れなかったと豪語する、
現代に生きる「モボ(=モダンボーイ)」でもある。

祖父の日本人離れしたところと言えば、アクティブさに加えて、
家族を大切にする姿勢だと思う。
前述したように、家族の絆を保つためならお金を惜しまない。
根っからの親分気質の持ち主だ。
その姿はまるでゴッドファーザーのロバートデニーロのよう。
なんてね。勿論、純日本人的な顔立ちをしたデ・ニーロだけど笑

そんな祖父に連れられて、明日から箱根に行く。
毎年、夏の恒例行事と言ったが、実は僕自身、
この箱根旅行に参加するのは8年ぶりだ。
最後に家族で箱根に行ったのは15歳の夏。
それ以来、なんだか足が遠のいてしまった。
理由は単純だ。「飽き」である。

4歳か5歳の頃から10年以上も毎夏を箱根で過ごせば
飽きもしよう。それに加えて、箱根は確かに大人にとっては
避暑地として魅力的に映るのだろうが、子供だった僕には
退屈な土地だった。プールで泳ぐには寒い。関所などの
遺跡めぐりには興味がない。博物館なんてなおさら。

そうした感覚は今でも変わらない。
だが、実はこの箱根旅行、今年で最後になりそうなのだ。
あれだけ元気だった祖父は最近、めっきりと老け込んでしまった。
痴呆が進んで、偶に妹のことを母親だと思って話すこともある。
家にひきこもるようになり、足腰も弱った。
体力的にも、遠出できるのは今回が最後になるだろう。

そんなわけで、なんだかセンチメンタルな話になってしまったが
「最後の箱根なんだから」という母の声に背中を押されて
8年ぶりのプリンスホテルへ。

祖父のような求心力を持った存在を、そう遠くない将来に
失ってしまうだろうことが、悲しい。


きっと祖父がいなければ、叔母や叔父、従兄弟と
今ほど親密な関係を築くことはできなかっただろう。
貴重なものって失って初めて貴重だと気付くんですよね。


最後の箱根を、余すことなく楽しんできます。

一番最悪なデート

KIYOSHI

TBS系列で四夜連続放映中の「一番大切なデート」を
観ていて、ふと思い出したことがある。

それは大学一年の冬、クラブで知り合って
間もない女のコから届いた一通のメールがきっかけだった。

その内容というのは、ライブに一緒に行かないかという
お誘いだった。しかも、友達にドタキャンされたらしく、一人で
行くのが嫌だからチケット代はおごりでいいと言う。

相手がそれほど親しくなくても、やはり遊びの誘いは嬉しい。
カワイイ感じのコだったし、割と会話もかみ合ったので
二つ返事でOKしたのだが、詳しく話を聞くと、
そのライブとは、あの氷川きよしのコンサートだった。

いやいやいや、華の女子大生が何でよりにもよって
氷川きよしのコンサート行きたいねん!

心の中でそう突っ込みつつも、まだそれほど親しくもない
相手を傷つけるわけにはいかない。
「あ、そうなんだ。あの…ズンドコ節とか知ってるよ」
と適当なフォローを入れつつ、会話を合わせる。
聞けば、ファンクラブ・ナンバー三桁代の筋金入りの
氷川きよしファンだと言う。
一緒に行くと言ってしまったからには、もう断ることはできない。
男ってバカだよね〜。


そして、忘れもしない12月15日。
彼女と有楽町で待ち合わせ、東京国際フォーラムのホールAを
目指した。そこで立て看板にでかでかと書かれたコンサートの
タイトルに目を奪われる。
その名も、「きよし、この夜」。
あと10日と迫ったクリスマスに引っ掛けてつけたらしい。
そのネーミングセンスに深い憂慮を抱きつつも、敢えて
突っ込まない。
そう、隣に連れ添っている女は、おそらく、おそらくは
本気で氷川きよしが好きなのだ。
この場では彼女のファン心理を害するような発言は慎まなくては。
心に固くそう誓って歩を進める。

客層は予想通り、平均年齢50を軽く超えている。
年頃の女性がいるとしても、たいていは母親に無理やり
連れてこられたといった様子。
そんな中にあって、彼女と俺の姿は異彩を放っていた。
この時点でテンションは奈落まで落ちる。

しかし、彼女は容赦ない。どうしても氷川きよし
ファングッズが欲しいと主張して、1時間待ちの列に
並ぶことを強要された。何も買わないわけにはいかないので
氷川きよしのブロマイド&うちわ、計1500円を購入\
あー、金の無駄 泣

コンサート開始前からすっかり消耗しきってしまったが、
遂に会場内へ足を踏み入れる。
そして、ついにコンサートの幕が開いた!
何故か、ゴンドラでステージ上へ降り立つきよし。
しかもその背中には何故か翼が生えている笑
笑いを堪えきれなくなった僕は、隣に座る彼女の肩を
たたき、爆笑しながら、
「あいつ、アホやなぁ、おもろいわー」と話しかけた。

いや、正確には話しかけようとして、思いとどまった。

だって…彼女…

号泣してるんですもん 笑

ほんっとに、号泣 笑

氷川きよしをナマで観ることが出来て、
感動のあまり泣いてしまったんですね。

一般的に言って、20前後の女子大生って
ふつー、氷川きよし観ても、泣きませんよね。
爆笑しますよね。俺のリアクション間違ってないですよね??

その瞬間、はっきりと分かった。
あぁ、このコは俺に気があるとかそういうのじゃなくて、
真剣に「氷川きよし」のコンサートに来たかったんだと。

そして、悟った。このコとは根本の部分で
絶対に分かり合えない。少なくとも、俺には
氷川きよしを目の前にして号泣するという
リアクションは理解できない笑

あぁ、来るんじゃなかった。来るんじゃなかった。
僕の頭の中を後悔の念が渦巻く。
「そういえば、明日は試験(メディコム入所試験)だったな」
「俺はこんなとこで何やってんだろう」
そんなことを考えていると、なぜか目が潤んできた。
なんで俺まで泣いてるんだろう。と思うとますます悲しくなる。

その刹那、彼女の視線が俺に向く。
なぜか、こっくりとうなずく彼女。

あーーーー!絶対勘違いされてる!絶対!
なんか通じ合っちゃった、みたいな空気醸し出すのやめて!

心の中で必死に叫ぶが、もはや後の祭り。

延々3時間も続いたコンサートが終わると、
なぜかカラオケ店に連れ込まれ「ズンドコきよし」を強制的に歌わされる。
振りも完璧に覚えさせられた。

ん?勿論オールでしたよ。

それが、僕の「一番最悪なデート」にまつわる思い出。
以来、どんなに可愛くて気の合う相手でも、
いつか、氷川きよし好きとか言い出すんじゃねぇか
って考えてしまいます。
トラウマです。フラッシュバックです。心的外傷後ストレス症候群です。

翌日の面接試験はおかげで?散々な結果でしたとさ。

ちなみに、そのときの面接官が皆さんご存知のあの方です。